ダーウィンが進化論の創設者、引力はニュートンが発見したというように、1っの発見と1人の名前を結び付けたがるものである。
しかし、発見とは多数の科学者の知識と貢献が集まって進歩発達するものである。
例えば、18世紀中頃には、ヨーロッパの船員たちに恐れられていた壊血病(※1)は柑橘類を食べることで予防治療できることはすでに発見されていた。
また、衰弱と麻痺を特徴とする脚気(※2)は、1882年に軍医総監高木兼寛博士が、日本海軍より脚気を駆逐し、その大功によって男爵に叙せられたのである。
氏は脚気はビタミン欠乏症の一種だと明確に理解していたわけではないが、バランスの取れていない食事に起因するという考えはもう既にあった。
しかし、不幸にも容易に理解されず、壊血病、脚気は単に必要栄養素の欠乏によって起こるとは考えられず、ある病原体、または毒素の悪作用によって起こると考えられていました。
1897年、印度において生物学者のEijkmanは、鶏を白米で育てると脚気にかかり、その鶏に米ぬかを与えると、脚気が治ることを発見。
最初は、この脚気を治す物質を「解毒剤」と考えられていたが、1906年に至り、タンパク質や脂肪、ミネラル以外で、物質の欠如が脚気を引き起こすとなり、それまで考えられていた脚気の細菌説を覆すものであり、後のビタミンの発見に大きく貢献した。
世界で初めてビタミンを発見したのは、日本人化学者でした。
1910年、日本人化学者 鈴木梅太郎博士が、Eijkmanの研究を元に欠乏すると脚気を引き起こす成分を米ぬかから抽出する事に成功しました。
現在、ビタミンB1と呼ばれている成分を「オリザニン」と名付けました。
翌1911年、ポーランドの生物学者フンクはEijkmanの脚気を治す物質を純粋に単離せんと努力した。
そしてこの物質はアミンの性質を持っていたので生命に必要なアミンと言う意味で「Vitamine」と名付けたのである。
また、ビタミンに関しての注目度の高い実験は1912年に発表されたイギリスのホプキンス博士の成長促進ビタミン発見の研究であり、フンクのビタミン説とホプキンスの研究はビタミン発見の歴史において2大記念碑と言われている。